今回は、以前取り上げた武蔵小杉駅を発着する列車の混雑対策に関連するものとして、かつて計画され、事業許可が下りたものの着工前に中止された川崎縦貫高速鉄道について取り上げます。この路線は、川崎市が運営する予定だったことから、川崎市営地下鉄とも呼ばれていました。2001年に新百合ヶ丘 – 元住吉間の事業が許可されましたが、紆余曲折を経て着工されず、2018年に計画自体が廃止されました。今回は、この路線の成り立ちから計画廃止までの経緯をたどります。
<結論>
川崎市の財政悪化だけで、事業性の高いこの事業を廃止すべきではなかった。
<計画の変遷>
- 初期の計画(1996年)
ルート:百合ヶ丘(新百合ヶ丘に変更) – 長沢 – 元住吉 – 末吉橋 – 大師河原
運輸省諮問機関の都市交通審議会が1966年7月、都市交通審議会答申第9号「横浜及びその周辺における旅客輸送力の整備増強に関する基本計画について」で川崎市を縦断する地下鉄として5号線の整備を盛り込んでおり、これが川崎縦貫高速鉄道の原型となった。
1973年に川崎市は「北部副都心構想」で、小田急小田原線と多摩線の分岐点として開業が決定していた新百合ヶ丘駅周辺を市北西部の拠点として開発すると発表し、川崎縦貫高速鉄道の起点も百合ヶ丘から新百合ヶ丘に変更された。
- 武蔵野南線活用
ルート:新百合ヶ丘 – 梶ヶ谷貨物ターミナル – 武蔵小杉 – 新川崎 – 川崎 – 京急大師線に乗り入れ
(武蔵野南線活用区間:梶ヶ谷貨物ターミナル – 武蔵小杉 – 新川崎)
1985年7月に都市交通審議会答申9号などの改定版として策定された運輸政策審議会答申第7号では、貨物線の輸送力に余力が発生していた状況を踏まえ、貨物線の旅客線化によって建設費の低減を図ることが主要な柱とされた。この答申を受け、川崎市が武蔵野線の貨物線区間である武蔵野南線に旅客線を整備し、あわせて新百合ヶ丘駅から武蔵野南線への接続線を整備するものとした。このため都市交通審議会9号答申で盛り込まれていた大師河原 – 百合ヶ丘間の地下鉄は削除された。
JR発足後、武蔵野線旅客化は立ち消えとなり、川崎市は新百合ヶ丘 – 東急田園都市線間に絞って検討を進めたが、事業化には至らなかった。
- 事業許可
ルート:新百合ヶ丘 – 長沢 – 医大前 – 蔵敷 – 犬蔵 – 宮前平 – 野川 – 久末 – 井田 – 元住吉
川崎市は1995年頃から、新百合ヶ丘 – 川崎間すべてを新線で整備する方針へと転換した。1996年頃から川崎市の交通政策計画として整備が研究され、新百合ヶ丘から宮前平駅を経由して東急東横線に接続する路線として建設する計画がまとまっていった。さらに1999年7月には小田急電鉄と新百合ヶ丘駅での相互乗り入れの協議を行っていることも公表した。
ところが、新百合ヶ丘 – 川崎間の全区間新線整備計画と小田急との乗り入れ構想により、神奈川東部方面線の新川崎地区新駅 – 川崎駅整備と京急大師線への乗り入れ構想は宙に浮いてしまった。また一方で、小田急との乗り入れ協議は結局不調に終わり実現しなかった。このため運輸政策審議会が調停に乗り出し、神奈川東部方面線の新川崎地区新駅 – 川崎駅整備を取り止め、新百合ヶ丘 – 川崎間を京急仕様で建設して京急大師線へと相互乗り入れする計画に変更された。
その後、川崎市議会が全会一致によって地下鉄整備方針を決議したことを受け、2000年1月に国土交通省により策定された運輸政策審議会7号答申の改定版となる運輸政策審議会答申第18号で、新百合ヶ丘 – 宮前平 – 元住吉 – 川崎間が「目標年次(2015年度)までに開業することが適当である路線」(A1路線)に指定されると、2000年代前半には着工に向けての動きが本格化する。川崎市は元住吉を境に新百合ヶ丘側を初期整備区間、川崎側を2期整備区間として段階的に整備することとし、2001年5月に新百合ヶ丘 – 元住吉間の第1種鉄道事業許可を受け事業が本格的に立ち上がり、環境影響調査が実施された。
- ルート変更案(2005年)
変更案ルート:新百合ヶ丘 – 長沢 – 医大前 – 蔵敷 – 犬蔵 – 宮前平 – 野川 – 久末 – 子母口 – 等々力緑地 – 武蔵小杉
2001年10月に当選した阿部市長は、「川崎縦貫高速鉄道線研究会」を設置して事業費の削減を検討させ、研究会は小田急多摩線との相互直通化や車両基地の建設中止などを提言した。当時は川崎市の財政が赤字であり、一部市民のアンケート結果を受け、同年6月に阿部市長は計画を5年間凍結することを決定した。
その後、川崎市の財政は黒字化したが、2005年に阿部市長は川崎縦貫高速鉄道の採算性を高めるとの理由で再度のルート変更を指示した。2005年3月、初期整備区間の終点を東急線しか接続できない元住吉駅から、武蔵小杉駅へ変更した。また、等々力緑地を経由地に加える方針が決定され、新百合ヶ丘駅 – 武蔵小杉駅ルート(1期線)の新たな計画概要が発表された。この計画では国の事業許可を得ていた計画よりもさらに短く、22年で利用料金により建設費用を完済でき黒字に転換するという試算が得られ、新百合ヶ丘・宮前平など経由都市の整備や経済効果に対する期待から事業の動向が注目された。
川崎市は、国の事業許可を受けて補助採択がなされ、環境アセスメント調査まで実施されていた新百合ヶ丘 – 元住吉間の事業廃止を決定。2005年9月9日に同区間の鉄道事業の廃止届を国土交通省に提出し、翌2006年4月1日に同区間の第一種鉄道事業が廃止された。
⑤結末
2006年:新百合ヶ丘 – 元住吉間の事業廃止
2018年:川崎縦貫高速鉄道計画の廃止(川崎市の財政悪化が主な要因)
<まとめ>
財務諸表を理解できない市長を選んだ市民の責任は重い。
-以上-
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